中小企業診断士になるまで その7

思い返せば、中小企業診断士の2次試験を受けてからもう1年以上経ちました。
あっという間のような、意外と長かったような、不思議な1年です。

あのときのピリピリとした感覚は、しっかりと覚えています。
落ち着け、落ち着け、と自分に対して言い聞かせながら、そのときを迎えました。

とうとうやってきた2次試験当日。
そのときに起こったことをお伝えします。

ついに2次試験の日がやってきた

勉強会や個人での学習を積み重ね。
加えて、コロナにかからないのように細心の注意を払って、ついに2次試験の当日を迎えました。

私が受けたのは2021年11月上旬。
できる限り、いつもどおり過ごしたいと思ったので、お弁当を持参し、おやつもいつも食べているものを持っていきました。

会場は大阪経済大学の本校。
地下鉄を降りると、意外と近くてホッとしました。
歩いてつかれるのも、道がわからなくて体力を気力を奪われるのも困ります。

私と同じ受験生と思しき人たちも多く、教室に入るまでは大学のエントランスを入ってすぐのところにある広場のようなところで、これまでの要点をまとめた復習ノートを眺めていました。

9時前頃だったように思いますが、教室への入室が始まります。
私はさっさと教室に入り、時間が来るまで復習をしていました。

ちなみに、勉強会のメンバーとは1人も会いませんでした。
もちろん、会っても試験の話をするまい、と決めてはいましたが、こういうときは1人のほうが気持ちが引き締まります。
どんな問題が出るのかな。
ちゃんと時間配分を守って、いつものように解こう。

気がつけば、開始時間10分前。
手元のあれこれを片付け、ペンやえんぴつを準備して、試験問題が配られるのを静かに待ちました。

2021年 2次試験の事例Ⅰは印刷業

事例Ⅰは、印刷業でした。
いまでこそ、印刷業は出題されやすい業種である、とわかるのですが、それでも私はびっくりしました。

実は、私の父親が印刷業を経営しているのです。

デザイナーを抱え、以前は美術書など豪華な装丁本を作っていたあの会社。
「なんだか知っている企業が出てきたぞ」
と、ちょっとほっとしました。

もちろん、2次試験の基本は「与件文に忠実に」です。
そのため、実家を思い浮かべすぎて、突飛なことを考えたり書いたりしてはいけません。
しかし、どういう雰囲気で、どういう仕事をしているのかはイメージがたやすい。
特に、小さい頃はよく職場に遊びにいっていました。
社員の人たちもみんな優しくて、アットホームな雰囲気だったように記憶しています。

そんなことをほんのちょっとだけ思い出しながら、
「もしかして、私ついてるかも」
と、いい意味で調子に乗っていました。

そんなことをしていると、80分はあっという間に過ぎていきます。
とにかく必死でマス目を埋めて、事例Ⅰを終えました。

2021年 事例Ⅱは豆腐屋さん

事例Ⅱは、豆腐屋さんでした。
基本的に、事例Ⅱは「強み×機会」を徹底的に使いまくることが重要です。
9月に2次試験を始めたときには、強みや機会の区別もついていなかった私ですが、このときは与件文のキーワードがグサグサとささってきたのを覚えています。

与件文を読みながら、
「強み、いっぱいあるなあ」
と感じ、一方で「脅威」が1つしか見つけられず、ちょっと困ったりもしました。

ところで、このときの問題で出てきた移動販売や置き配。
いかにもコロナを取り入れた内容だと思いました。
予備校の先生にも、
「事例Ⅱがいちばんコロナにからめやすい」
といわれていたのです。

やっぱりコロナ・・・。
そんな中で、フランチャイズって・・・。
そう思っていた人も多いと思います。

しかし、私は1人、全く別のことで衝撃を受けていました。

実は私、webライターの仕事で、移動販売や置き配に関する記事を5~6本書いていたのです。

フランチャイザ―については多少考えたものの、フランチャイジーの注意点などは繰り返し書いていました。
この点、私は本当に有利だったと思います。
そして、同時にこう考えました。

「もしかして、今回で受からなかったら、また4~5年は受からないかも」

まさか、事例Ⅰに続いて事例Ⅱでも奇跡が起こるなんて。
こんな状況は、4~5年どころか、2度とこないかもしれない。

「じゃあ、これで絶対に合格しなければ」

もちろん、受かりたいというのはそこにいる人たち全員の願いです。
しかし、この中の5人に1人以下しか合格しない試験。

絶対に、これで受かる。

事例Ⅱを終えて、改めて強く思いました。

2021年 事例Ⅲは革製品の企業

事例Ⅲは、革製品、主にカバンを作っている企業です。
本格的な製造業などを想定していましたが、カバンという身近なアイテムを扱う企業だったので、一安心。
当時の私は、金型や材質から型を抜き取ったりするような企業とは全く縁がなかったので、どういうものかをイメージするための労力を使わないで済んだのはラッキーでした。

内容としては、それほど難しくない、という印象。
いままでやってきた与件文に忠実に、という作業が活かせる問題だったように感じました。

ただし、どうしても書けない問題がありました。
設問要求はAとBについて書け、というもの。
150字なら、70字ずつ書くことが想定されています。

しかし、Aについてはたくさん書けるのに、Bについての情報が1つしか見つけられなかったのです。

困りました。
どうしたものかと。

もちろん与件文も見直しました。
なのに、どうしても見つからない。
でも、今年受かるためには、空欄で出すなんてことはできません。

仕方がないので、Aについてのボリュームを増やして書きました。
Aについて100字超え、Bは残り。
仕方がありません。
1/2ずつ書けば、空欄ができてしまうからです。

最悪、Bについては2点くらいしかなくても、Aについてたくさん書いておけば、部分点くらいはもらえるだろう、という打算の結果がこれでした。
受かると決めたからには、とにかく必死です。

おかげで、事例Ⅲも空欄を作らずに済みました。
この結果が吉と出るか、凶と出るかはわかりませんが、やり切ったとだけはいえます。

2021年 事例Ⅳはスーパーマーケット

事例Ⅳはスーパーマーケットです。
セミセルフレジ、こちらもばっちりコロナ関連でした。

財務分析や記述、そして投資判断など基本的にはいつもどおりの形式ですが、財務分析での指標選びが4つになっていたことには、ちょっとびっくりしました。
効率性や安全性など、どれを2つ書くか悩みましたね。

そして、そのあとは例年にも増して、大量の条件文。
セミセルフレジという言葉が、頭の中をぐるぐる回ります。
正直、だからどうした、という気分になってしまいました。

そうなんです。
実は、このときの私はクタクタだったんです。

フリーランスという状況なので、勉強する時間はほかの人たちよりも確保していたと思います。
そのため、1日にいくつも事例を解いて、訓練してきたつもりでした。

しかし、事例Ⅳを迎えるころにはガソリンが切れかけの状態。
予想外のつかれぐあいに、自分でも驚きました。

本来ならそれでも必死に解かなくてはいけません。
そしてもちろん、私自身も必死でした。
ただ、どうにもこうにも頭が回らない。

仕方がないので、絶対に点数をとらないといけない経営分析と後半の記述問題にほぼ全精力を注ぎました。
80分の試験のうち、おそらく40分近く、ここに使ったような気がします。

このとき思い出していたのは、予備校の先生の声です。
「経営分析と後半の記述をかけば、絶対に足切りにはならないよ」

この先生の言うことは1次試験からバッチリ当たっていたので、それを信じました。
この2つで万点近く取れば、足切りには合わない。
あとは、ほんの2~3点でも部分点でもらえれば、一発アウトにはならないだろう。
そういう戦略を取りました。

もちろん、事例Ⅳを解く戦略としては最悪です。
絶対にやってはいけない。
しかし、投資分析もキャッシュフローも式を書きはするけれど、部分点さえもらえる気がしない。

そしてそもそも私は事例Ⅳが苦手でした。
だったら、仕方がない。

計算式などの記述部分はなにを書いたか覚えていません。
ただただ、足切りに合わないことだけを考えて解いていたら、あっという間に80分が過ぎました。

ここで、2次試験は終了。

手ごたえとしては、全くなし。
それでも、やり切った感はありました。
事例Ⅳをあんな感じで解いておきながら、やり切った感なんて・・・といまなら思いますが、あのときは、
「これでダメだったら仕方がない」
「持てるパワーは全部出したし、落ちたら単純に、能力が足りていなかっただけだ」
と、自然と思えたのです。

帰宅途中、勉強会のメンバーとLINEでねぎらいの言葉をかけ合いました。
自宅近くの駅に着くと、夫も駅まで迎えに来てくれていて。

とりあえず、終わった。
疲労困憊もはなはだしかったのですが、それでも満足のいく状態で試験を受けられたことを誇りに感じました。

その8>につづく。

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